仕事についてから、10年ほど、副業で大学の教員をしていました。担当は憲法。
もともと、とあるインタビューで愛読書を聞かれ、「芦部先生の憲法」とか答えるくらい、憲法は好きな科目でした。
とはいえ、私が好きで得意なのは人権編だけです。表現の自由とか職業選択の自由とかのアレ。理由はシンプルで、「私たちは自由!」って書いてあるから。
そして、その背後にある、この自由を勝ち取るために頑張ってきた、人の人生とかリアルなドラマが好きだからです。
普通に考えると、「王様でさえ従わなければならないルール」=憲法を作るって、すごくないですか。
権力者の欲望とか、長い力による支配の歴史を考えると、今そのルールがあるというのは、20世紀後半に生まれたからこそ立ち会えた、とんでもないラッキーだと思う。
キングダムの時代であれば、私たちのような一般ピープルは、仕事や思想とか幸せとか全く関係なく、王様から戦いに駆り出されて、兵隊のかたまりの一部として生涯を終えてますよ。
そんな時代でなく、国家に対して、「やりたいことをやれる自由」「やりたくないことはやらなくていい自由」を主張できるラッキーな時代に生きてるんだから、その恩恵を自分のために、活用したらいいんです。
憲法は、私たちが楽しく生きるためのインフラみたいなものだと思えばいい。憲法はもともとそういうものです。
逆に、憲法が私たちに何らかの「正しさ」みたいなものを求めてくるようになったら、私たちの自由が脅かされるときです。
国家にとっての正しさは、国民の自由を制約する、これは真理だからです。
昨今話題の憲法改正については、もし本当に発議されれば、国民は一人一票の投票権を持ち、その是非を多数決で決めます。
改正可、否、棄権。どの結論を取るのももちろん自由。
ひとつ、契約書などの約束ごとをたくさん作っている立場から伝えたいのは以下のこと。
国民投票の対象となる改正案が決まったら、その是非を考えるにあたっては、「政治家が口頭で何と言って説明しているか」で判断するのはやめた方がいいです。
「まあ書いてあるだけで、悪いようにはしませんよ」とかいいながら、しらっと有利なことを入れるのは契約書作成でも常套手段です。
慣れてないと雰囲気に流されます。
もちろん、本当に「そんなつもりはない」のかもしれません。
でも、時代が変わって、やばい人が為政者として登場してきた時に、「だって文言にはそう書いてあるじゃん」と、やりたい放題になるもしれない。
だから、判断権者の私たちがやるべきことは、改正案そのものをよく読んで、それが「正しさをより求めてきていないか?」「自分の自由を脅かす可能性がないか?」という視点で考えたらいいと思います。
その正しさに共感できるのか?その正しさのためなら自分の自由を差し出せるのか?
国民投票とは、そういう判断、選択。
そして、その判断、選択も自由。
私たちは大きな権限を持っている。
2026年の憲法記念日に考えたこと。峯岸優子





