いろいろについての考察

災害に遭うということ

災害のニュースが

流れると、

一つの光景を思い出します。

 

それは、

2011年の大震災

後のこと。

被災地からの避難者が

集団で暮らしていた避難所に

弁護士会から派遣されて

法律相談会のボランティア

として行った時のことです。

初めての場所なので、

地図を見ながら行きました。

一戸建ての立ち並ぶ

住宅街を抜けたところに、

その避難所はありました。

 

住宅街には、洗濯物が干され、

三輪車がおかれ、

震災前からかわらない、

のどかな「日常」

がありました。

 

一方で、道路をへだてた

避難所にあるのは

完全な「非日常」でした。

災害によって突然

住み慣れた場所をはなれ、

大事な人といき別れ。

トイレは共同、

プライベートはない。

その上、この先

どうなるのかという不安。。

 

そんな2つの

真逆な生活が、

道路を隔てて

隣り合わせにある光景でした。

この時思ったのは


もし地震が起きた場所が

少しずれていたならば、

非日常は、

こちら側だったかもしれない」
ということです。

 

向こう側に、

洗濯物や三輪車のある

穏やかな日常の光景が見える。

でも自分の日常は

奪われて手の届かない場所にある。

そんな立ち位置にいる

自分を想像して、

ぞっとしました

 

災害に遭うというのは

そういうことなのか、

と思いました。

 

東日本大震災では、

いまもなお、

多くの人が避難を続けています。

災害のニュースを聞くたびに

そのときの気持ちを振り返り

自分ごととして

感じてみるようにしています。

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