ある日突然、近所の脇の建物がなくなり、真新しい空き地になっていました。
毎日とおっているはずなのに全く経過に気がつかず、いつの間に取り壊しがあったんだろう?と驚きました。
さらに、「ここ何だっけ?」「どんな建物だったっけ?」
と建っていた建物を思い浮かべようとしても全く思い出せません。
毎日通っていても、当たり前の風景になりすぎて、何の記憶にも残らないものなんだなと思いました。
相続や遺言の相談で、「わたしはこんなに尽くしたのにまわりには全く評価してもらえない」という話が出て来る相談はとても多いです。
「自分だけが親の介護をしてきたのに他の兄弟は何も感謝してくれない。」
「兄弟のうち長男にだけ尽くして借金も肩代わりしてきたのに長男は当たり前と思っている」
たとえやっている側にとっては大変なことであっても、やってもらっている側は、だんだんそれが当たり前だと思うようになっていたりします。
家族であればなおさらです。
そして、実は法律上も、家族間の普通の介護や扶養は、家族であればやるべきあたりまえの「扶養義務」であって、後に例えば相続の問題になった場合、まるで評価されないこともあります。
もちろん、無私無欲で家族のために尽くすことがうれしい、自分が満足できる、という方はそれで良いと思います。
でも、もしあなたが自分のことをよく考えて、それだと不満が残りそうだな、とか後で不公平感を感じてモメるのがイヤだなとおもうならば。
親に遺言を残してもらうか、介護の範囲や対価を契約書できめておくことをお勧めします。
「ええっ??家族なのに契約書??」というのがほとんどの人のリアクションです。
でも、実際トラブルになってしまった方は皆さん「最初からそうしておけばよかった」とおっしゃいます。
わたしは、世の中のそういう「リスク対策」に対する意識を変えたいです。
家族なのに、親子なのに、兄弟なのに、信用していないと思われそうで言い出せないですか?
だけど、みんな独立した人間。生き方も考え方も全然違うんですよ。
逆に、家族だからこそ、将来起こりうる問題を想定して、正面から向き合い、みんなで対策しておくことは何にも変なことではありません。
介護ってどんなに大変なことなのか。お金を払ってやってもらうとすればこんなに費用がかかることなのよ、とか。
そういう基本的な情報をしっかり双方で共有しておくこと、そこを踏まえて合意しておくことが大切です。
相手は決して自分の期待どおりに行動してくれない。ちゃんと言わないと伝わらないのです。たとえ家族でもね。
親の介護についても、なんとなく引き受けてしまうとそれが続いて行きます。
そして「いつもの風景」になってしまうと、みんなが注意を払うこともなくなります。
空き地になって初めてここ何が建ってたっけ?と思われるくらい、あなたが一生懸命やっていた真実は誰の記憶にも残らないことになりかねないのです。
もしあなたが「誰かのためになんとなくやってる」と思うことがあれば、一度だけ自分に問いかけてみてください。
それはそのままで大丈夫なのか。
今ならもっといい形にできるかもしれませんよ。
★ブログランキングに参加しています。
いいねと思った方にクリックしてもらえると嬉しいです。→にほんブログ村
★弁護士峯岸優子の法律相談は現在、事務所主催の不定期の法律相談会またはご紹介の方の相談のみ受け付けています。
相談会の日程は下記事務所にお問い合わせください。
〒105-0013
東京都港区浜松町2-7-13 VISTA浜松町9階
弁護士法人みつ葉法律事務所
電話03-6625-4817
Fax 03-3546-9926
弁護士峯岸優子(第二東京弁護士会)