弁護士目線で考えること

ルールにふりまわされるな

普段、相続について法律のルールをお話ししていますが、別に四角四面に法律どおりにすべきとは思っていません。

例えば、親の相続で、子ども2人の法定相続分が半分ずつだからといって、必ず半分にしなければならないわけではないんです。

「別に自分は不動産いらないから全部あげるよ。」
っていう兄弟だって当然いる。

そういう和やかな相続にズカズカ踏み込んで、「半分請求しましょう!」「半分払いましょう!」なんてかき乱す必要は全くない。

民事の世界では、ルールは道具だと思っています。

「こうしたい。」という欲求があって初めて、「それを叶えるために何ができるか」という視点からルールを活用するわけです。

請求したくなければしなくていい。

ルールはあっても、基本、当事者が合意で別の約束をしたってよい。

ルールどおりならこうなるはずだ、ということに囚われるあまり、現実的妥当性を欠く方向に話が進んでしまうことって、よくあります。

もちろん、正しさを追求することを選択するのも自由。ですが、人は生身の生き物。生きやすさ、ラクさ、時間、コストなどなどそのほかの価値を考慮して、時に正しさを手放す選択もアリです。

この側面をお伝えすることも、ルールを伝える専門家の大切な役目だと思います。

本日は、某役所で委員会のお仕事のため、愛する埼玉県に行ってきました。

高崎線は上野東京ラインに名前を変えても相変わらずマッチョな走りでした。鬼滅の刃でいうと煉獄さんみたいな感じかな。見た目いかついけど心は優しい、みたいな。

鬼滅よく知らんから適当だけど。

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