今やっている某朝ドラを見ていたら、ヒロインが嵐の中、人助けをする場面がありました。
一緒にいた幼い子どもと共に、山の中の突然の嵐で動けなくなり、どうしよう!と動転しつつも、知り合いの天気予報士と医師から電話で指示を受け、うまく立ち回って無事子どもも共に助かる、というお話。
無事戻ったところに、(今のところひねくれた感じの)その指示だししてくれたお医者さんから、「君は知識のある専門家に指示されて動いただけ。なんも偉くない」みたいなことを言われて、ヒロインは「たしかに」と納得するわけです。
しかしこれ、一見正論のようですが、よく考えれば完全に誤っていると思います。
この人助けの一件、98:1:1(ヒ:天:医)でヒロインのおかげというべきなのではないかと。
世の中、知識を適切に事案に当てはめることこそがいちばん難しいことです。
そもそも、ヒロインがやったことは指示された通りに動いただけじゃないんですよね。その前提があるのです。
まず、知識のある専門家に電話で問い合わせられる人脈を獲得していたその人柄。そして、ピンチの時に必要な助けを求めるタイムリーな機転。
逆に見れば、医師と天気予報士という2人の専門的知識は、彼女がいなければ本件解決には全く役に立たなかったのです。
他人である専門家らの知識を、自分の人脈と機転で、必要な事案にあてはめ、解決に導いたヒロインこそ賞賛されるべきだし、そんな彼女に対してトンチンカンな嫌味を言った医師は、彼女に対してスライディングで土下座をすべきです。
専門家の知識なんてものは、人の役に立たなければなんの価値もありません。
学歴、資格、経歴。
持っていればすごいね、頑張ったね、といってもらえる家に飾ってあるトロフィーみたいなもんです。
でも、トロフィーは自分では歩き出しません。
最も重要なのは「その資格とかは誰にどのように役に立つの?」という素朴な問いを繰り返すことです。
あのヒロインのように、自分に必要な知識がなくたって、専門家につながりを持ち、困ったら適切に助けを求めるという行動ができれば、人の命や生活を救うことができるかもしれないのです。
そういう「つなぐ」ことのできる人は、受け身で待っているだけの専門家よりも何倍もスゴい人。
自分を専門家だ、と思う人こそ「つなぐ」ことの価値をよく理解するべきなんだろうね。人の役に立ちたいならば。
某朝ドラの展開的には、そのうちその医師と天気予報士がヒロインをめぐってドロドロの三角関係を繰り広げるに違いない。今期も目が離せません。