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真実なんて70億のファンタジー

「真実はいつもひとつ!」というコナン君の決めゼリフがありますが、実は裁判界隈では、真実はコナン君のいう「神様から見た真実」ではなかったりします。

確かに、コナン君の周りで起こる数々の事件に関する刑事裁判には、なるべく神様から見た真実を発見しよう!という目的があります。

 

ただ、これも「なるべく」であり、「あくまでも人権侵害しない範囲でな」という留保つきです。

つまり、誤解をおそれずわかりやすくいうと、適正に収集された証拠で立証できない限りは神様から見た真犯人も有罪にできない、という暗黙の了解があるってこと。

何やら中途半端な感じですが、これには理由があります。

それはもしも、刑事手続きで求める真実を「神様から見た真実」と設定してしまうと、その真実を追求するあまり捜査が行きすぎたりして、逆に人権侵害を招きかねないから。

たとえ100人の真犯人を逃したとしても、1人の冤罪も起こしてはならない。

コナン的真実よりも人権保障を優先するという現代の叡智なのです。

これを知ると、ちょっと「真実」の印象違ってきますよね。

 

さらに。

これが民事事件になるともっと真実の意味は形式的になります。

例えば、相手が「はいそうです」と認めた事実は、基本的に事実と扱われます。「これ、争いないからもう事実ってことな」というルール。

また、裁判に欠席して反論しなかったりすると、相手の言い分どおりの判決が出ることもあります。

たとえそれが神様から見た真実でなかったとしても事実として扱われるわけです。

 

裁判なのにそれでいいの?と思うかもしれませんが、いいんです。

それは、民事訴訟の目的は、当事者の紛争解決であって真実の解明ではないから。

証拠がなければ事実として認定されない。

そういうルールで成り立っている以上、おそらくこれまでの長い歴史、神様から見た真実とは違う事実が認定されてきたことだろうと思いますが、それもやむなしなのです。

弁護士というと「真実を暴く正義の味方」みたいなイメージがもしかしたらあるかもしれませんが、その逆です。

弁護士はむしろ、その神様目線の真実と、裁判上の真実が違うということについてよく理解した上で、事案を見通したり戦略を立てたりします。

経営者さんによくいう、「ちゃんと契約書作ったほうがいいよ」というアドバイスもその一つです。

いくら真実でも、立証できなければ負けることを痛いほど知っているので、うるさくいうわけですよね。

真実が何か人智を超えて存在するもので、主張すればいつかは必ずわかってもらえるもの、と思うのは全くの間違いです。

そう思っていた方は今すぐ滝にでも打たれてその感覚を捨て切りましょう。

真実なんて一つどころか、心の中の妖精みたいなもんで人の数だけある。世界中で70億?いわばファンタジーなんです。

大事なのは証拠で立証する事実です。

これ超大事なのに、学校で教わらなかったことなんですよね。

「知らなかったよ!」という方も、そのあたりを今日からの人生でお腹の中に置いておくと良いことがあるかもしれませんよ。^^

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