法律のこと

ゾンビドラマに学ぶ立憲主義のすごさ

ネット配信ドラマの中で一番私のハートをわしづかみにして離さないのは、ウォーキング・デッドです。ゾンビ大好き。

シーズン1からハマり、最終手前のシーズン10からのお預け期間に2周目を見て復習し、じらされてきた数年。

「最終シーズンがDisney Plusで配信されるぞ!」と聞いて、Disneyにはあまり興味ないのに会員になり、なんかそのまま今も会員で、またもや完全にDisneyの思う壺ですがそれでもいいの。

ウォーキング・デッド。

言わずと知れたストーリーですが、要は現代の世界でゾンビに噛まれるとゾンビになる病が流行して、人間のほとんどがゾンビ化し、その中で生き残ったわずかの人間が生き抜いていくというお話。

シーズン1の当初は、「振り返るとゾンビ」「歩いていると横からゾンビ」みたいなシンプルな恐怖ドラマで、それもとても怖いし面白いのですが、話が進むごとに生きている人間同士の戦いが中心となるドラマになってきます。

法律はもちろん国や政府や警察などあらゆる統治システムが意味をなさなくなり、生きている人間の姿を見つけると理屈抜きに襲ってくるゾンビと隣り合わせの世界。

そんな世界の中で生き残った人間たちは、自分が生きるために、わずかに残された食料や住める場所を求め互いに争い合う・・。全体の1/100の告知内容としてはこんなところ。

ここから急展開しますが、ウォーキング・デッドのデストピアっぷりを見た後、私がつくづく感じるのは「人権とか個人の尊厳って概念すごい」「これを理想として確立してきた先人たちの理性に泣きながら感謝したい」ということです。

実は、「人の命は大事」とか「誰もがハッピーになる権利がある」という考え方が存在する社会は、本当にすごく恵まれた社会です。

統治のルールがあり、食べ物や領土を求めて誰かと争わなくても暮らしていける。人の物を奪えば罰せられる。市民間の争いは裁判所が裁判してくれる。

それが空気のように当たり前になっていて、私たちは気が付きもしませんが、こうしたルールが機能している社会はウォーキング・デッドの世界からみたら天国です。

一方で、この「人権とか個人のハッピーを守らないとね」という考え方やそれに基づく安心な社会なんてものは、ちょっと油断したり、一歩間違えばすぐ失われるものでもあります。

例えば、ウォーキング・デッドの疫病のように、ひとつでも自分の足元を不安にさせるような脅威の前には、人間はすぐに他人の人権や個人の尊厳なんてものは放り出して、争い合い、攻撃し合います。

ここ数年の疫病や戦争から、この社会とウォーキング・デッドの社会は地続きなんじゃないかと想像してみると戦慄します。

ウォーキング・デッドなどの近未来デストピアモノって、歴史や過去の「終わった出来事」として非理性的な社会を描くのではなく、私たちがこの先ほんとうに体験しうる「リアルな未来」として、人間が暴走したときの恐怖を描いているのが秀逸なのだと思います。

デストピアは全然他人ごとじゃないって思う。

まずは、自分のハッピーは大事だよなってところを再認識して、これがいつもタダで手に入ると油断しないこと。

そして、このハッピーをこれからも不断の努力により握り締め続けていこう。

5月3日の憲法記念日に。

 

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