昔、予備校で働いていた20代前半のこと。
某国立大学の理系を卒業したすごい美人の同僚が、「夢は結婚すること」と言っていたのです。
当時、私は大学卒業後、司法試験に落ちて、予備校で働きながら勉強していたか何かで「将来の野望に向かって試行錯誤している」状況でした。
その頃の予備校の先生って、短時間で比較的高給がもらえたので、私みたいに何かの目標に向かって貯金したり生活費を稼ぐ、みたいな感じの人が多かったのです。
そんな中、国立大学の理系を卒業した女性が「結婚」という夢を語るのに驚きました。女性で、中学時代から受験して私立に通い、今で言えばリケジョといわれる稀有な存在だったので意外だったのです。
で、彼女に「これまで努力してきたのに、あなたみたいなすごい学歴、活かさないともったいなくない?」と聞いたら、「全然もったいなくない。結婚以上の価値あることが思い浮かばないんだよね」とはっきり返されました。
私たちって、これまで続けてきたことをやめたり、持っていたものを捨てたりするのに罪悪感がありませんか。
習い事とか、塾とか、コミュニティとか、「これ意味があるのかな」と思いつつ始めたからにはやめられない、みたいな動機で延々だらだら続けていることとかありません?
歴史とか伝統とか継続とか、確かにすごいのですが、それに縛られた瞬間、負担になりますよね。
あとは積み重ねられたものといえば、人気とか財産もそうなのかな。
失ってはならない、守らなければならない思うあまり、本当は大事なものを犠牲にしてしまった人の例は、いくつも浮かびます。
一番大事なのって「今以降、これからの時間」なんだと思います。
積み重ねは、ただ「積み重なったね」という事実とか結果に過ぎない。
積み重ねを目的にして行動設定をすべきではないと思う。
まるで理想に縛られて現実を歪めてしまうかのように、ナンセンスなことだと思う。
そのことを知ったのはだいぶ歳をとってからだった。
冒頭の「結婚」したいと言った同僚。
今にして思えば、彼女は二十歳そこそこで「今以降、これからの時間」の価値を知っていたものすごい聡明な人だったんだと思う。
今、何歳の人も、「今以降、これからの時間」をどうするかが一番大事。
積み重ねたものが不要なものなら、もう手放してみてもいいのかもしれない。
積み重ねを無理に活かす必要もない。手放すべき時は手放す。
そういう価値観もあるよって伝えたい。