近ごろAdoさんの「うっせえわ」にハマり、作業中、一曲リバースで延々と聴いています。
この曲、割とお子さまのいる方とかには不評みたいですが、何にうっせえわなのかも聞かずに「こんな曲聞いちゃダメ!」なんて拒絶してたらもったいないと思います。
表現は別としても「うっせえわ」と言い返すのが仕事みたいなところがあるからかもしれませんが、むしろこの反射的な拒否反応ってとても大切な反応なんだと思うんです。
歌詞を聞けば、「ホントあるある。それうっせえわだわ!」と共感できるし面白い。「ああつまらねえ何回聞かせるんだそのメモリー」のところとかね。心に染み入ります。
私たちは何かにネガティブな反応するということについて、あまり教えられてこなかったですよね。
「いうことは聞きなさい」「素直になりなさい。」「口応えするのはやめなさい。」
こんなふうに言われて育ったせいか、多くの人は、質問する、反論する、意見を言う、っていうのが苦手じゃないですか?
でも、仕事に就いてから痛感したのは、然るべきときにちゃんと質問し、反論し、意見を言わないと、「ホント損するよな。」ということです。
「なんか理不尽」と思ったことにはその時きちんと反応しないと、大事な権利を守れない結果になることさえあります。
つまり、うっせえわと思うべきところでは、うっせえわと思っていいんだと思うんだよね。
内心で何を思うかは絶対的に自由ですから(憲法19条の思想良心の自由)。
さりとて、内心の叫びを歌にしてしまうアーティストではなく、社会のルールやマナーの中で生きている一般人の我々は、クセエクチフサゲヤとかクソダリイナとかは人に対して口に出せませんよね。
表現に問題があるとか、聞く人に嫌な感じを与えるのが問題であれば、「うっせえわ」という心の叫びをどう伝えるか各自のアタマを使って考えればいいんです。
子どもが真似したら困るとご心配?
もし、うっせえわの意味のわかる大きなお子さんが「うっせえわ」って言ってたら、むしろ何に「うっせえわ」と言ってるのか聞いてみましょう。問題は言葉の奥にあるかもしれません。
もし、意味をわかっていない小さなお子さんが「うっせえわ」って言ってたら、それは「アーンパーンチ」と同義だと思うのでほっとけばいいように思います。
何でもかんでも「わかりました!」「承知しました!」しか言わない大人より、「うっせえわ」が適切に言える大人が多い方が世の中は良くなると私は思う。